そもそも『あみぐるみ』ってなに?
あみぐるみは、毛糸で編んだ小さな人形です。動物や人物、食べ物など、様々なモチーフをかわいく表現できます。
手作りの温もりを感じられるあみぐるみは、世界に一つだけの宝物です。
石田陽美と、あみぐるみについて
私が「あみぐるみ」と出会ったのは小学生のころでした。
母が持っていた雑誌に掲載されていたあみぐるみを見つけたことがきっかけでした。
「なにこれ?!毛糸で人形が作れると?!」と、すっごく驚いて、心ときめいたことを覚えています。
私が生まれ育った場所は、長崎県にある「壱岐」という小さな島で、当時は遊ぶ場所は自然以外何もありませんでした(ちょっと言い過ぎですね笑)。
雨の日は家にいるしかないわけで、、、必然的に手芸を好きになっていました。
あみぐるみとの出会い
寒くなってくると、母が編み物を始めます。
それを真似て、私もよくマフラーを編んでいました。
もちろん子どもの私にマフラーを完成させるなんてできるわけもなく、
毎冬ガタガタのマフラーを数センチ編んでは、「編み物って全然おもしろくない…」
そういっていつも完成させることなく放り出していました。
そんなある日、母が読んでいた雑誌をペラペラとめくっていると、
なんともかわいらしい毛糸でつくった人形が載っているのを見つけたのです!
それが「あみぐるみ」というものでした。
「毛糸で人形が作れると?!」
毛糸は、マフラーやセーターなどを編むためのものとしか思っていなかった私にとって、「あみぐるみ」との出会いは衝撃的でした。
すぐに母に編み方を教えてもらい編み始めました。
もちろん最初からさくさくと編めるわけもなく、何度も何度も失敗しました。
しかし不思議と、セーターやマフラーのように飽きてしまったりはしませんでした。
何かしらのカタチになることがうれしくてうれしくて、そうして、あみぐるみの楽しさにすっかりハマっていったのです。
あみぐるみにはまった理由
私は人前で話をすることが大好きな子どもでした。小学生の頃は読書感想文発表会で「発表する人」に自ら手をあげ、全校生徒の前で作文を読んだり、先生の代わりに先生をするという特別授業なんかも喜んで手をあげたりしたものです。
中学生になっても変わらず人前で話すことが好きでした。
ある日の全校集会で、係からの連絡としてみんなの前で話す機会を与えられました。持ってくるものなどの注意事項は伝えるだけのちょっとしたことでした。さすがに全校生徒の前だとドキドキです。何人かしゃべったあと、さぁ私の番!と勢いよく話を始めました。
すると、突然体育館の後ろから「聞こえませーーん!」という大きな声がしました。男性の先生の声でした。私はあわてて、大きな声で話しました。しかしまた「聞こえませーーん!」と言われてしまい、これがもう一度、全部で3回続きました。
私の心はドキドキドキドキと震えてしまい、あわててできるだけの大きな声で話しましたが、
全校生徒が見ていると思うと、とても緊張してしまい声が震え裏返ってしまいました。
私はダメになった
その翌日。
授業中、先生に「ここ読んで」と当てられて、教科書を読み始めました。普通のことです。いつもちゃんとできている普通のことなのに、なぜか声が震えました。「どうしたんだろう?きっとたまたまだ。」そう思っていたのですが、次の日もまた次の日も、私は声が震え、教科書を読むことができませんでした。
あ、私はダメになった。そう思ったのです。
学校に行くことが辛くて、でも行かないという選択肢はなくて、
毎日ちゃんと登校しながらも、終わったらすぐに帰って、家に閉じこもるようになっていました。
家でただ、だらだらとテレビを見たり、本を読んだりしていたとき、小学生のころに見つけた「あみぐるみ」のことを思い出しました。
いつの間にかほったらかしになっていた「あみぐるみ」。そうだ、なんか作ってみよう。
母にもらった毛糸を引っ張り出し、母にかぎ針を借りて、編み方をもう一度教わりながら、少しずつ編みはじめました。
なんとなく編み方がわかるようになると、どう編んだら丸くなるんだろうとか自分で工夫をするようになり、どんどんのめりこんでいきました。
楽しくて、あみぐるみ作りに没頭している間は、辛いことも悲しいことも忘れられました。私にとって逃げ場ができた瞬間でした。こうやって少しずつあみぐるみハマっていったのです。
社会人になり、しばらくして、初めて私は自分の症状が心の病気「社会不安障害(SAD)」であることを知りました。
宿題よりもあみぐるみ
学校から帰るとすぐに毛糸を取り出して、宿題よりもまずあみぐるみをつくる、そんな生活にどっぷりとつかっていきました。
島には大きな本屋さんも毛糸屋さんもなく、またYouTubeもInstagramもない時代でしたので、あみぐるみの参考になるものもほとんどありませんでした。 だから、どうやれば丸くなるのか、どの太さの毛糸で、何号のかぎ針を使えば思ったとおりの形になるのか、
常に自分で想像しながら編んでいました。でもその想像し創造する工程もなかなか楽しかったのです。割と器用な方だったので、自分で想像しながらいろんなあみぐるみをつくっていました。
島には小さな手芸屋さんがありましたので、毛糸はそこに置いてあるものの中から選んで買っていました。
だから、大人になって都会の大きな手芸屋さんに行ったときは、「毛糸ってこんなに種類があるんだ!」と感動したものです(笑)。
素敵な出会い
「あみぐるみやさんになりたい」そう思っていた私は、島にあるいくつかの雑貨屋さんをまわり「あみぐるみを置いていただけませんか?」とお願いしてみました。 しかしそんなにうまくいく分けもなくすべて断られてしまいました。当たり前ですよね、子どもがつくったあみぐるみを取り扱ってくださるお店なんてそうそうありません。 そこで挫折した私は、大人になるにつれあみぐるみから離れるようになっていきました。
そんなわけで、島から福岡市内には出たものの普通に会社に就職していました。
社会人生活にもなれてきたある日、体を動かしたいなと思いテニスサークルに入りました。
するとそこで、とっても明るくて素敵な友だちができたのです。その友だちは私にもっとたくさんの友だちを紹介してくれて、海で遊んだり、BBQをしたり、キャンプをしたりと、いろんな遊びにも誘ってくれました
そんなある日、友だちのひとり、くろちゃんの誕生日パーティをしよう!という話が持ち上がりました。
大好きな友だちへの誕生日プレゼント、せっかくだから何か思い出に残るようなものをと思い、いろいろと想像を巡らせていると、子どものころに夢中になって編んでいた「あみぐるみ」を思い出しました。
「そうだ!くろちゃんによく似たあみぐるみをつくってプレゼントしよう!!」となったわけです(笑)
久しぶりに毛糸を買い編んでみることに。
あみぐるみを作るということがこんなに楽しいことだったんだと久しぶりに思いだし、あっという間にプレゼントのあみぐるみが完成しました。 それは、スリムな黒猫(くろちゃんだから(安易 笑))に、そのころよく着ていた服を着せたものでした(雰囲気だけですが 笑)。
誕生日パーティ当日、どきどきしながらそのあみぐるみをプレゼントすると友だちはすごく喜んでくれて、まわりの友だちもみんな「すごい!」「かわいい!」と口々に褒めてくれたのです。
そして「これなら売れるよ!」とまで言われうれしくなった私は、調子にのって「よし、あみぐるみを売ってみよう!」「そのためのホームページをつくろう!」と決めたのでした(笑)
あみぐるみ屋さんになる!
それからホームページ作りに取り掛かりました。
リアル店舗は難しいので(あたりまえですね(笑))ネットショップを作ることにしました。
実はちょうどこの頃、事務職ではなく技術職になりたくて、webデザイナーの学校に通っていたのです。ものすごくタイムリーでした!
とはいえ当時の私にはまだまだ、ドメインって?サーバーって?とわからないことだらけで、そのたびにまわりの友だちに助けてもらったものです。 ネットショップの名前は何にしようか、ロゴのデザインはどうしようか、あみぐるみはどれを載せようか、金額はどのように設定しようかと考えることがいっぱいでいろいろとたいへんでしたが、辛さはまったくなく、むしろ楽しくて仕方がありませんでした。
そして、2004年2月29日に「あみぐるみのantoco*」というサイトをオープンさせたのです!
(無理やりうるう年の日に間に合わせ公開しました。笑)
もちろんまだネット上に公開しただけで、閲覧者もほぼいないし作品も少ないし、すぐに買い手がつくわけではないので、これからがたいへんなのですが、自分のサイトができたということがとってもうれしかったことを覚えています。
さらにうれしいこともありました。実はサイトオープンの前日のこと。
初めて売れた日
サイトに掲載するあみぐるみを撮影するために近くの公園に行ったときのことでした。たまたま休憩のために入ったカフェで、幼稚園児くらいのお子さんを連れたお母さんに声をかけられたのです。「かわいい人形ですねえ。私はそういうの作れないからうらやましいです。」すると一緒にいたお嬢さんが「これ欲しい!」と。それを受けてお母さんが「これおひとつおいくらですか?よかった売ってくれませんか?」と言ってくださり、その場でお買いあげいただいたのです。正直びっくりし過ぎて、ちょっとあわてました(笑)
まだ何もしていないのに、私が作ったあみぐるみがはじめて1つ売れました。それはとてもうれしくてありがたいできごとでした。おかげで、私は自分の作品に自信も持つことができたのです。
サイトは徐々にですが見てくれる人が増え、少しずつ知らない方からも注文が入るようになっていきました。
それからときが経ち、現在へと至ります
私の編むあみぐるみはちょっと変なものばかり。
でもその「ちょっとへんなものが好きな人たち」に支えられて、今もあみぐるみ作家を続けることができています。
あみぐるみの販売だけではなく、これまでにもいろいろな活動をさせていただいています。
- チェコ共和国で開催の『藝展』へ出展
- 京都で開催の『藝展』へ出展
- フランス・パリで『3人展』を開催
- UAEの首都・AbuDabiで開催された『8th Discover the one Japanese Art 2019 in AbuDabi』に出展
- 九州朝日放送(KBC)『アサデス。』の美術協力としてあみぐるみを提供中
- 日本テレビ・ドラマ『獣になれない私たち』にあみぐるみを提供
- 九州国立博物館の九州国立博物館広報誌「アジアージュ」キャラクター制作
- 日本テレビ・ドラマ『anone』にあみぐるみを提供
- 日本テレビ・ドラマ『先に生まれただけの僕』にあみぐるみを提供
- 日本テレビ・ドラマ『ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編』にあみぐるみを提供
- 日本テレビ・ドラマ『視覚探偵 日暮旅人』にあみぐるみを提供
- 福岡三越のラシック福岡天神で『クリスマスあみぐるみワークショップ』を開催
- ニューヨークにある日本のセレクトショップ「J+B DESIGN」で約1年半あみぐるみを販売
- ニューヨークにあるRESOBOXギャラリーで開催された「世界あみぐるみ展」に参加
- 映画「テルマエ・ロマエ」にあみぐるみを提供
などなど、ご縁あっていろいろなことを体験させていただいています。
あみぐるみはやさしいアートである
たくさんの方に笑っていただけるような、癒される~と言っていただけるような、そんなちょっとシュールでかわいいあみぐるみをこれからもずっと作りつづけます。
- 名前:石田陽美(いしだはるみ)
- 出身:長崎県壱岐市(壱岐島です)
- 居住地:福岡県福岡市
- 趣味:あみぐるみを作ること、本を読むこと、テニスをすること
- あみぐるみのantoco*:https://antoco.net/
- Facebook:https://www.facebook.com/antoco.net/
- Instagram:https://www.instagram.com/amigurumi.antoco/
- Twitter:https://twitter.com/antoco10
- BASE(カードが使えます):https://antoco.kawaiishop.jp/
- creema(カードが使えます):https://www.creema.jp/c/antoco/item/onsale
次はどんなあみぐるみを作ろうか?
日々そんなことを考えながらワクワクと生活しています。
私がつくるあみぐるみで「ほっこり」したり「ぷぷぷっ」と笑っていただければ幸いです。
そして、いつかぜひ自分の手元においてかわいがっていただけたらとてもうれしく思います。
私の人生の中で、あみぐるみは切っても切り離せないものになっています。
あみぐるみに助けられ、癒され、笑わせてもらいました。
これからも、なんだか笑えるあみぐるみをを作りつづけていきますので
「あみぐるみのantoco*」をどうぞよろしくお願いします((*´∀`*))